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歴史の謎研究会  日本史と中国史の大疑問

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歴史の謎研究会  日本史と中国史の大疑問


     現在中国が尖閣列島を自国のものだと主張しています。やがてエスカレートして沖縄も中国のものだと言うかも知れません。泥棒も三分の理ということわざがあるように、中国がそういいたがるのもわからないわけでもありません。室町時代、父親の義満が中国の明と勘合貿易をやっていましたが、死ぬと息子の義持はそれをやめてしまいます。たとえ儲かるとしても、明の属国になり、朝貢貿易にプライドが許せなかったのでしょう。その反対に琉球王国は明に朝貢して、明の属国に甘んじ、貿易立国として繁栄していたのです。明治時代に琉球は日本に組み入れますが、それまでは独立国としての体裁をとっていたのです。琉球王国の王様の名前からして、思紹、尚巴志など、まるで中国人のようです。当時としては琉球は日本よりも中国の影響が強かったというのがわかります。

そのうち中国は日本そのものも中国のものだと言い始めるかもしれません。弥生末期においても、中国の銅銭が見つかっています。稲作も中国の渡来人がもたらしたものだという説があります。司馬遷の「史記」には、秦の始皇帝の時代、「徐福」という人物がいて、「三千人の童男童女と百工を連れて」「不老不死の霊薬を」を求めて、船出したという記述もあり、それが日本にたどり着いたということが伝説になっています。現在日本が先進国でいられるのは、もともと徐福と三千人の童男童女と百工のお陰だということになると中国は声高に主張するでしょう。もし徐福がいなかったら、いまでも日本人は「樫の葉」を皿にして、「手を匙のようにして使い」「腕や顔に刺青をし」海に潜っては魚を捕る土人のままであったろうということになるようです。

共産党の国であってもいまだに「中華思想」は根強く生き続いています。豊臣秀吉が朝鮮を通り越して、中国の覇王になりたがっていたというのも、このような中国の何でも中国が一番という態度が気に食わなかったのでしょう。尾張の猿は中国の孫悟空に対してあまりいい気持ちを抱いていないようです。

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