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大下英治 トップ屋魂

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大下英治 トップ屋魂


       自伝です。何事も成り上がったものより、成り上がりつつのものが面白い。大下英治の母が英治に「山より大きな猪はでん」と言ったと書いていますが、私の父も同じことをよく言ったものです。彼の父親は原爆で死に、終戦後彼の母親は古着を広島駅前で仕入れ、田舎にもってゆき売っていました。豊かでなかったので、英治は中学卒業して江波の先にある三菱造船所の養成工として入ります。給料もくれて勉強もさしてくれると言うところです。勉強と言っても造船やら溶接やらの実務的な勉強なのでしょう。ここを卒業する前、松本商業学校(今の瀬戸内高校)夜間の3年生として入学し、同時に昼間は予備校の英数学館で猛勉強し、1年後広島大学の仏文科に入学できました。知能指数も高かったと言うことですから、地頭がよかったのでしょう。大学2年生の時には結婚していて子供も生まれています。広大卒業は主任教授の、留年させても国費の無駄になるだけだからと言う理由で卒業さしてくれました。しかしモーパッサンについての卒業論文は最も面白かったと主任教授が言っています。就職ですが何社も断られ、最後一社「電波新聞」でテストケースとして雇われます。電波新聞を何部売るかによって本採用になるかどうかを決めるのです。呉や福山や岩国まで自転車で行って売りさばきます。とうとう売り手でトップになりました。採用され東京に研修に行かされます。そこで編集局の新人7名が同属会社の社長から首を言い渡され、研修に来ていた英治ら数名が編集局に回されます。しかし広島のほうが英治のセールス能力を買い、広島に戻すように本社に掛け合います。で、東京にいたいために、英治はそこをやめ、ミクロ会計という会社に入ります。今で言うところの会計ソフトを売るような会社のようなものです。その間、先輩の梶山に連絡して、これも広大の先輩ですが週刊文春の岩川隆を紹介してもらったりしています。大宅壮一の「マスコミ塾」の塾生になったりしています。そのうち週間文春の岩川に頼まれて整形手術の失敗についてのルポを頼まれます。これをきっかけにして大下英治の快進撃が始まります。

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