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いまフジのスーパーがあるところにむかし山陽中学高校がありました。私は近くにある竹屋小学校に通っていました。子供ながらも、山陽のお兄ちゃんたちはおっかない人と感じていました。手に負えない学生が集まっているところで、ホーケーも強かったが、喧嘩もやたらする学生ばかりです。今はそうではありませんが、昔は「ぼんくら学校じゃ」と言われていました。この表紙の写真は正木龍樹ですが、山陽中学からエスカレートで山陽高校まで行ったのですが、高校入学一ヵ月後喧嘩で退学、西蟹屋町にあった広島電波工業高校で転学、そこでも三ヶ月目に退学になり、その次の年傷害事件を起こし、特別少年院に入れられます。少年院を出て広島のヤクザ岡組の舎弟になります。それから東京に出て、総会屋になったのです。同じ広島出身の総会屋小川薫と違って、多くの山陽高校出身者で脇を固め、チームプレイに徹したのです。昭和50年代が広島グループの総会屋が全盛を誇っていた時期です。小川薫はもうけた金でピンクレディーを売り出します。小川のように派手さはありませんが正木やその部下たちは広島弁で、株式総会の雛壇に並ぶ、有名大学卒業者の取締役などのスキャンダルをネタにして、それらをネチネチと脅していたのでしょう。普通では大企業の社長などに会うことはできません。正木の「論壇」のグループはこれらの社長と定期的に会食しています。金の集まるところ腐敗も起き、女も群がるのでスキャンダルも事欠かないでしょう。これらの情報を掴んで、金持たちに危機感をあおり、それを漏らすか漏らさないかは貴方が出す札束如何にかかわっていると言われると出さざるを得ません。この妙味を知って、やがて警察畑と弁護士が総会屋を駆除すると言う名目で総会屋に成り代わります。それが昭和57年の商法改正です。「利益供与罪」ができて、総会屋を締め出します。総会屋に代わって、警察・検察の連中が天下りし、弁護士も多数大会社にもぐりこみます。
今では株式総会も荒れることはなく、30分くらいでシャンシャンと手打ちして終わっているようです。いろいろ問題はあるでしょうに、警察・検察のOBと弁護士などによって会社の恥部を見せないようにしています。あまりにもすんなりと行き過ぎるので、かえって警察・検察のOBと弁護士の存在価値が問われているようです。だから会社の番犬である彼らは、数少なくなった総会屋の生き残りの野犬に対して、もっと吼えてくれないかと頼んでいるようです。野犬がいなくなれば番犬も必要ないのですから、番犬はペットになるか、それか番犬が野犬になって、マッチポンプになるかしかないのでしょう。
1. Test, just a test
la situaciГіn Absurda ha resultado
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