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軍艦「清輝」は明治9年にできています。フランス人の指導を受けましたが、日本人が建造した木造軍艦です。蒸気機関でスクリューを回し、石炭を節約するために帆船でもありました。「長さ60メートル、幅9メートル、排水量89トン、速力9・6ノット(時速約18キロメートル)」だそうです。明治維新からたった9年で軍艦を作ったのですからたいしたものです。
明治11年1月、横浜を出航し、日本人だけでイギリスまで行きました。方々で大歓迎されています。ただし政情不安なスペインだけは、余り友好的な態度ではなかった。内でごたごたしている時に歓迎レセプションなど開くことなどできません。この航海で今の金で5億円も使っています。艦上パーティなど開いて、その国のお偉方にシャンペンなど振舞っています。
帰りで、イタリアのジェノバで街のチンピラと水兵がけんかになり、水兵がナイフで刺されました。大した傷ではなかったようですが、悪いのはチンピラで、ほうきを投げつけたのがきっかけでけんかになりました。
国交がなかったにもかかわらず、イギリスの仲介でトルコ皇帝に会うことができました。日本の進歩に驚いていたようです。ペナン(現マレーシア)で水兵の吉崎萬吉が行方不明になっています。多分海に落ちたのでしょう。明治12年4月に横浜に戻ります。一年と四ヶ月、長い旅がやっと終わりました。
その後軍艦「清輝」は明治15年朝鮮での京城事変に出兵し、明治21年三保崎沖で座礁沈没しました。