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団鬼六は1931年に生まれ、2011年に死んでいます。80年間生きたことになります。私も70に近く、あと10年も生きられるかどうかはわかりません。もはやあとがないということです。団鬼六は「何しょうぞ、くすんで一期は夢よ、ただ狂え」をモットーに面白おかしく生きてきました。ところが私は団鬼六のように面白く生きてきたでしょうか?自分で言うのも何ですが、真面目で付き合っても何ら面白みのない人間です。何らドラマもなく、将棋と言っても高段者になれなく、何十年やっても2,3級でさ迷っています。このトシで狂ってみようとしても、もはや体力がありません。大金をもうけることもなく、そうかといってにっちもさっちも行かなくなって倒産ということもなく、ただダラダラと貧困の淵にたどりついたという状況です。まあこのへんで自分の愚痴はやめましょう。この正月も寝正月で寝転んで本を読む生活をしています。2日にスーパーに買い物に行きましたが、正月価格で何もかも高くなっています。いつもの鮭のパックがなく、あってもいつもの倍の値段になっています。仕方なく普段より倍も小さいめざしを見つけ普段と同じ値段で買いました。このように慎ましい生活をしているので、団鬼六のような天から地に落ちる経験は一切ないのです。つまりいつも地にへばりついた生活をしていたということになるでしょう。愚痴はやめようと言っても、続きます。私は地に這うミミズであり、天に飛ぶ鷹になったことはありません。だから墜落する危険性はなかったが、最近のおもちゃのドローンの空撮を見ると、鷹になって自由に空を飛びまわる生活もあってもいいのではないかと思うようになっています。風を切り、不安定ながら、地上を俯瞰しながら、滑降し舞い上がり、思いつきで宙返りする、まさしく団鬼六伝を読むと、まるで私が鷹になったような気がしてきます。