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私の父が大正7年生まれ、母が大正10年生まれです。私の祖父は三篠で床材屋をしていました。父は三篠橋のたもとで近所の材木商の息子たちと泳いだり、釣りをしていたそうです。川伝いに広島城の堀までも泳いでいったそうです。ガキ大将だったのでしょう。小田億の息子も相撲大会で投げ飛ばしています。尋常高等学校を卒業し、大工の見習になります。昭和11年に徴兵検査を受け兵隊になります。新天地で映画や芝居をよく見ていたということです。父の大正時代は小学校二、三年生頃まででしたが、関東大震災が起こり、祖父は株で大損をし、商売は衰退していきます。で、とうとう父の兄が務める海軍の鎮守府がある呉に引っ越すことになりました。
この本で佐伯郡の大野村の高等小学校の生徒が書いた広島一日修学旅行のことが載っています。己斐駅に着いてから後、一日中広島市内を歩き回っているのです。全行程では20キロメートル以上になるでしょう。おまけに比治山まで登っています。大した脚力です。今の生徒では考えられないことです。
大正時代のちょっと後までは喪服は白です。村の葬式の写真が載っていますが、韓国のドラマのように全身白づくめです。風習というものはいつの間にか変わっていくということがわかります。これも西洋を真似たということです。