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私が読書についての本を読むのは著者がどのような本を読んでいるかを知りたいからです。同時にいまだ読んでいない本を知ることにあります。また読んでいる本で、どの文を注目しているかを知るのも興味があります。「死刑執行人サンソン」で、死刑執行人と知らずにレストランで一緒に食事した貴族の夫人が、後で知って、サンソンに謝罪を求める裁判を起こしたということを記して、サンソンの反論にいたく奥野は感動しています。私の場合、そこの部分がすっかり抜け落ちています。読んだにもかかわらず、記憶がないのです。
「もし国家に私のような職務を遂行する者がいないとしたら、王国はどうなりましょうか?・・・彼ら(犯罪者)を震え上がらせるもの、それは私の剣であります。この剣があってこそ、無辜の人々は安心して息をし、秩序がたもたれるのであります」
この文章から奥野は「僕は僕なりに、嫌われようとバカにされようと、自分の道を行けばいい、行くしかないと思えたのです」と書いています。奥野はちょうど「社会人になってすぐ、会社に馴染めず辛い気分だった時期」にこの本を読んで、そう思ったのです。私の場合は奥野のように「辛い時期」を過ごしていたわけでもなく、日本の江戸時代でも首切りの浅草弾左衛門がいて、やはり彼もサンソンと同じく、差別の対象の非人であり、どこの国でもこのようなシステムが出来上がっているのだなと思うだけでした。つまりこの本は奥野に生きる勇気を与えたが、私には物知りのための素材をもらったということになりましょうか。