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橋本武 解説徒然草

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橋本武 解説徒然草


     はじめは原文を読んで訳文を読もうと殊勝な心掛けでいましたが、途中から訳文だけを読んでしまいました。700年前の日本語は日本語であっても外国語でもあります。スラスラ読めるものではありません。それ以前の平安朝の源氏物語などますます難解です。源氏物語全編を原文で読んだ人は今生きている日本人のなかで数千人もいないはずです。

橋本武は灘高の国語の先生です。訳文のほかに字句の解説、それとある章に於いては橋本自らの思いも載せています。私は途中から原文と字句の解説はぶっとばして訳文と橋本のコメントだけを読みました。これでは難関大学には入学できないでしょう。意地の悪い試験制作者の罠にひっかかって、「あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり」(徒然草9)で「あやし」の意味と問われると、私は、あやしいと思うから、不審者であると答えます。とてもではないが「卑しい」という意味があるとは思いも付かない。このようなちょこっとしたことで差をつけられてはたまりませんが、このちょこっとが生涯を通じると大変な差になってきます。いくら悔やんでも、仕方ありませんが、もう少し、目のいい若い頃に辞書を引いておけば何とかなったのではないかと思われた仕方ありません。

50段の「上手に至らざらん芸」では50になっても上手にならん芸はやめてしまったほうがいいと言っています。見苦しいと言っています。私も将棋を趣味としていますが、何十年もやっても高段者に域に達していません。将棋を習って4,5月したら4段、5段になる小学低学年の子供もいます。どこがちがうのでしょうか?188段では一大事なことだけを心に秘め、その他のものは捨て去り、それに専心することで物事は成就するのだと言っています。「眼の前にさし当たった事だけ努力を払って月日を送ることになるので、どの事も一事として成就することができないままに、わが身が老いてしまう。結局ものの上手にもならず、予想通りの裕福な暮らしもできない。いくら後悔したところで、取り返しのきく年齢ではないから、走って坂を転がり落ちる輪のように衰弱してゆく」まるで私のことを言われているようです。あと10年か数年かは生きられるかもしれませんが、転がり落ちる輪のような生き方になるのでしょう。

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