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菅野瑞治也 実録ドイツで決闘した日本人

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菅野瑞治也 実録ドイツで決闘した日本人


    ドイツで顔に傷のある男をみたらヤクザと思ってはいけません。精神的な貴族ということです。決闘の修羅場を切り抜けた男だからだそうです。今でもドイツでは学生が決闘をしています。学生結社に入ると、決闘を義務付けられています。その義務のないところもありますが、血の気の多い男は決闘の義務のあるところの結社を選ぶようです。最低学生時代二回の決闘をする義務があります。菅野瑞治也も二回決闘しています。彼はその結社の永世会員に推挙されています。昔ほど死ぬことはなくなりましたが、真剣をもって闘うのは勇気のいることです。首、腕、胴体、鼻などはガードされていますが、顔、あと頭はノーガードです。フェンシングのように突きはありません。刃のある刀で切り込んでいくのです。真剣が頬に当たって、パクリと裂け、中の歯が見えたという決闘も菅野瑞治也は目撃しています。少々の傷では決闘をやめません。ボクシングと同じで、ラウンド制で20回以上も休み休み剣を交えます。勝ち負けは関係ありません。この場でいかに勇敢に闘ったかで評価されます。決闘のあとは決闘者と観客との飲み会で盛り上がります。決闘で男として一皮むけるように感じたと菅野瑞治也は言っています。自分の言動が何かに裏打ちされたような気がしたそうです。

何人も自分の発言に責任をもたねばなりません。決闘という習慣を日本の言論界やテレビ討論会に導入した方がいいのかもしれません。そうは言っても正論は吐くが、身体が弱い男だっているでしょう。このようなものがわやくちゃをいう柔道の猛者と決闘するにはハンディがありすぎます。やはり立会人が武器の選定を公平にしないといけません。体の弱いのにはピストル、猛者には真剣ではどうでしょうか?これでもわやくちゃを言う猛者が決闘をしようと言うのなら、その猛者は真に自分の言動に責任を持っている証拠でしょう。たとえ銃弾で倒れたとしても、「板垣死すとも自由は死せず」など気の効いた言葉でも吐けば、一躍英雄になるでしょう。彼のわやくちゃな言動もこうまでしたのだから何か意味があるのだろうと思われ、後世永く彼のことは語り継がれることになります。こうでもなると彼の死は犬死ではなかったことになります。彼の顕彰碑も建てられ、ピストルで撃ち殺した身体の弱い、正論を吐く男も彼の碑の前で、花束を添え、彼もなかなかの男であった賞賛してくれるでしょう。

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