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宮本常一 庶民の発見

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宮本常一 庶民の発見


        「ムコ」とか「ヨメ」の言葉には歴史の背景があります。平安時代までは男は女の家へ通っていました。この恋愛期間を過ぎて、やがて女の家に向かえ入れられます。つまり「迎えいれられ」「ムカエル」は古典語では「ムコウル」であり、つまりその男を「ムコ」となったということです。やがて武家社会になると、女が男の家に手伝いに行きます。「ヨメ」という言葉は「ユウメ」という言葉がなまったものといわれます。

『「ユウメ」というのはユイをする女ということであり、ユイとかヨイとか、またはユウというのは交換労働のことで、いまも民間ではひろくつかわれている言葉である。つまり、手間がえしのことである。手助けしてもらうと、それだけまた相手の手伝いをする。屋根をふいたり、田植えをしたりするとき、ユイでおこなうことは今日もなお多いのであるが、ムコをもった女はこうしてムコの家と自分の家の間を往復して家事を助けるふうを生じた』

何気なく使っている言葉も歴史が畳み込まれていると思うと疎かに使っては申し訳ない気持ちになります。

人口の割りに広島には流川や薬研掘りの歓楽街が大きい理由も宮本常一は説明しています。それははやくから旧地主層の崩壊が進んでいて、出稼ぎや商売などで資産を蓄えた新興階級が沸き起こったことによるということです。

「村の古い秩序を崩して新興階級が実権をもつためには、ただ旧勢力への反抗だけでは目的を達成することができない。そこで金と酒宴によって民衆の、または官庁の人々の心をつなぎ、新しい政治勢力をつくろうとしてくる。」

宮本常一が聞き回っていた昭和30年代、広島県の贈収賄事件が日本で一番多かったということも、この推量に礎になっています。また密造酒の多いのもその左証になっています。

いま人口減少が問題になっていますが、江戸時代の「宗門人別帳」によれば、「一家の人員が4人以下なると、みるみるうちに絶家している」ということです。悲しいかな、今世紀末には日本人はこの地球上からいなくなるでしょう。アメリカか中国の研究所に日本人のDNAが保存されていることになるでしょう。

躾という漢字は日本人が作ったものです。文字がなかった時代、村社会を円満に運営するためには口承によって村のしきたりを伝承しないといけません。言葉を暗記し、それを実践することに拠って村の共同体が成り立って生きます。シツケとは村の共同生活の規範を示したものです。

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