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宮田昭 筑豊一代 炭坑王 伊藤傳右衛門

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宮田昭 筑豊一代 炭坑王 伊藤傳右衛門


        俳優高倉健の父親は伊藤傳右衛門の炭坑の労務係をしていました。若い時から相撲で体を鍛え、炭坑の荒くれ者を取り締まっていました。やくざ的な気質をもたないとこの仕事はやっていけないでしょう。

伊藤傳右衛門の父親も目明しをしていました。目明しとは犯罪を取り締まる仕事でありますが、同時に犯罪者と密に連絡を取り合う仲間でもあります。江戸幕府が終焉して、魚屋をやったり、船頭をしたりします。それから石炭を取り出す仕事を始めます。彼の目明しとしての能力がこの仕事によって生かされます。多くの無法者を使って地下から石炭を掘り出します。この父親によって資産が形成され、息子・伊藤傳右衛門がそれに輪をかけて発展させたのです。勿論伊藤傳右衛門も子供時代から父親の手助けをしています。お坊ちゃんではありません。酒を呑んだらアイクチを振り回す労務者を相手にしていたのです。文字は読めないといっていましたが、若い時から生身の人間と対峙して、度胸や処世を身につけていったのでしょう。経営者というよりヤクザの親分とイメージが強い。

先妻が亡くなると、華族の娘・柳原燁子と結婚します。柳原燁子は出戻りですが、27歳で、美人、かつ名の知れた歌人、雅号は白蓮と名乗っています。結納金2万円(現在に換算すると6000万円)を払ったと噂されます。伊藤傳右衛門は記者を眼の前にして言っています。

「伊藤傳右衛門は九州の炭坑でも、無教養の男でも、炭堀には炭堀だけの人格がある積もりです。金で買った結婚などといわれては、柳原家に対する大侮辱は勿論、この傳むねの男が廃れます」

ところが何年かして、燁子自身が伊藤傳右衛門から逃げ出し、絶縁状でこう言われます。

「この手紙により私は金力を以って女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の決別を告げます」

燁子は東大卒の弁護士と一緒になります。これに対し、伊藤傳右衛門は何も非難がましいことは一言も言っていません。

当時の世相では身分違いの結婚をしたということで、伊藤傳右衛門のこの悲劇を喜んでいた節があります。普通のヤクザの親分なら、燁子の相手・宮崎滔天の息子・宮崎龍介にヒットマンを送っていたでしょう。そうしなかったということは炭堀には炭堀の人格が練れていたということです。たとえ教養がなくても、美人のために義憤に燃え、社会正義を気取った宮崎隆介よりは器が大きかったということになります。

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