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寺田寅彦 さるかに合戦と桃太郎

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寺田寅彦 さるかに合戦と桃太郎


           昭和8年、文藝春秋に書いたものです。地方の小学校の先生がさるかに合戦を題材にして、サルを資本家、カニを労働者にたとえて教えていたということを導入部にして、おとぎばなしについて考えたものです。また桃太郎についても、たとえ相手が鬼であろうとも、数を味方にして「征服」するのはよろしくないといったような非戦論主義者の解釈の仕方もあったのでしょう。現在でもこのように考える人もいるでしょう。それに対し寺田寅彦はもっと広角な目でおとぎばなしを見ないといけないと言っています。

「おとぎばなしというものは、そういう人間世界の事実と法則を教える科学的な教科書である。そうして、どうするのが善いとか悪いとか、そんな限定的なモラールや批判や解説を付加して説明するにはあまりにも広大無辺な意味をもったものである。それをいいかげんなほんの一面的なやぶにらみの注解をつけて片付けてしまうのではせっかくのおとぎ話も全く台無しになってしまう。」

もっと明快に、「おとぎ話は物理学の教科書と同じく石が上から下に落ちるという事実を教える」とも言っています。

おとぎ話即物理学とは面白い考え方です。いまではおとぎ話即精神分析学となっている風潮もあります。最後に寺田寅彦はおとぎ話の鑑賞の仕方をこのように結論付けています。

「われわれは子どもに時分にはおとぎ話はおとぎ話としてなんらの注釈もなしに教わった。・・・そうしてそれらの話の中に含まれている事実と法則とがいつとなく自然自然と骨肉の間にしみ込んでしまって、もはやもとの形は少しも残らなくなっているが、しかし実際はそれらのものの認識がわれわれのからだのすみからすみまで行き渡ってわれわれの知恵の重要な成分をなしているのである。もしこれらのおとぎ話を、尻の曲がったごうなの殻にでも詰め込んで丸呑みされていたのであったら、とうの昔に体外に排泄されてどこかよその畑の肥料にでもなっていたことであろう。」

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