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私が子供時分でも、犬付きの家系とか狐付きの家系などと言っていました。気が変になった人がいる家族をそのように言っていたのです。拝み屋さんが来て、何やら唱えると、気のふれた人が犬の真似をしたり狐の真似をしたりして、拝み屋さんがエイッと気合をかけると、患者は途端に静かになり、犬やキツネが去ったということで、治療の完成です。人間の精神と体は不思議なものです。拝み屋さんがそのようなパフォーマンスをしなくても治る人は治るし治らない人は治らない。いまだに新興宗教では拝み屋さんみたいな人がいるようですが、精神の病気は最新の医学をもってしても治癒が難しそうです。現在は平安時代ではないのですから、誰かの祟りで病気になったといことは、表面上は通用しないでしょう。肉体の病気は細菌とかウィルスが原因であるということはわかっていますから、その原因を除去すれば治るのですが、精神の病気は脳の中である物質が少なくなっているかと過剰になっているとか、いろいろ説明されますが、まだはっきりとわかっていません。そこに「祟り」が入ってきてもおかしくないのです。フロイトのエヴィデンス不用の学説もそれなりに理屈が通るような気もします。科学や医学が精密化したのはごく最近のことです。それまではシャーマニズムが続いていたのですから、自分が具合が悪くなったのは誰かのせいだと考えるのが当たり前です。人間の精神の深い所では、このような回路がしっかりと組み込まれているのでしょう。人間の脳が増えたのは、お付き合いのためだという説もあります。人間関係が最も頭を悩まさることだということです。