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読書

小池龍之介 しない生活


         私は70になっても過去の嫌な記憶や失敗を思い出すたび、馬鹿な、アホとか、うーんと、一人ぶつぶつと言っています。未だに煩悩を断ち切ることができず、日々カルマの蓄積で自分が押しつぶされていくようです。諦念とは理屈ではわかっていても、毎日腹が立ったり、情けない思いがでてくるということは、悟りから随分遠くにいることがわかります。

しかしブッタのような人が多くなったら、この世はどうなるのであろうかと考えて見ますと、理想的な社会が形成されるとは思えません。全て苦の原因は自分にあり、社会の不公平にブツブツ言うのは自分のコンプレックスによる、至らなさの故であると解説され、プロテスト自体が我執の表れであると言われると、目の前にある不正に何ら文句が言えなくなります。たださえ今日ネオコンの自由主義経済によって、一部の金持ちたちが好き勝手やって自分たちの富を膨らまし、たとえ失敗しても公的資金によって援助を受け、国民の大半の福祉などの予算は無駄使いと切り捨てられ、おまけに労働者階級の賃金は切り下げ、反対に税金だけはこの階級には増やし、金持たちの税率は切り下げられ、あまつさえタックスヘイブンによって税金を全く払わないようなシステムを作っています。これはおかしいと言うと、これはお前が貧乏人で金持にコンプレックスを持っているだけだといわれ、辛苦努力しないからいつまでも貧乏人になっているのだといわれ、やっぱり自分が駄目な人間なのか思い込まされます。仕方なくブッタを真似て瞑想をしますが、ブッタのように根から上品な人間ではないので、心の底ではわだかまりが溜まってきます。それで私のように独り言で、馬鹿な、アホとかつぶやくようになるのです。

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