メールとか携帯とか上役とかといった、古代インドではない言葉も出ていて、いかにも超訳という感じがします。
「ただ独りぼっちで歩むのが潔い。まるでインド犀の頭の一本だけシャキンと突き出た角のように」
この「犀の角」だけは超訳できなかったようです。「孤独」と「犀の角」を結びつけたブッタは芭蕉に勝る俳人であるとも言えそうです。
『たとえば、相手が携帯電話ばかりいじっているのを見て寂しくなり、「人がいるときに携帯電話ばかり見ているのは失礼だとおもわないの?」などと怒りそうになったとしたら、怒りが静まり、ほとぼりが冷めるのを待ってから冷静に伝えると良い。「いっしょにいるとき携帯電話ばかりを見られているとさびしくなるから、少しひかえてくれるとうれしいな」と。』
日馬富士もこのブッタの言葉を読んでおれば、横綱を辞めないでよかったのにと思うと残念でしかたありません。
日馬富士のためだけではありません。ブッタは私のためにも言葉を残してくれています。
「次の五つのものを売って商売しないのが、君のためになるだろう。剣や爆弾や戦闘機をなどの武器、人、動物を殺した肉、酒、毒や麻薬などの中毒性のあるもの、・・・」
居酒屋か食べ物屋か、玉虫色のような私の店は、もともとは大衆食堂であったものですが、時代の流れで酒も出すようになったということで、それも余り売り上げはないのですから、ここは大目に見てもらいたいものです。