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読書

山下武 嗚呼懐かしの金語楼


    わずか6歳で舞台に上がり、死ぬ71歳まで現役でありました。6歳で舞台に上がったのは、出演の落語家が遅刻したからです。つなぎに金語楼が出て、小話やかっぽれを踊り、大喝采を受け、おひねりの投げ銭も4円もあったそうです。明治40年の4円は現在に換算すると4万円くらいになるでしょう。それから人気がうなぎのぼり、小学校に入学しましたが、四日で追い出されてしまいます。落語をやれといわれ、授業にならないからです。学校の方から来なくといいといわれました。これと同じように軍隊でも同じでした。さすがに来なくてもいいとは言われませんでしたが、行軍するたびにファンがついてきて、訓練にならないからです。とうとう電車に乗って一人で兵舎に帰れと言われたり、徒歩訓練でも、金語楼だけは将官の乗った自動車でついて行ったりしています。夜は夜で、普通の兵士のようなしごきはなかったようですが、落語をやらされ、休む閑も無かったようです。

山下武は正妻の長男ですが、葬式の時、妻以外の4人もの妾が表れ、はじめて、腹違いの兄弟がいることを知ります。金語楼は死ぬまで、本妻を含めてそれぞれの女性に律儀に毎月生活費を渡していました。おまけに弟子も30人ほど抱え、それぞれに給料も払っていたので、いかに金語楼が儲けていたかがわかります。

芸もそうですが、何の仕事も一生懸命すれば、なにがしか成果は出てくるということがわかります。一代で成果が出なくても、代々続くといつの日か日の目を見ることができます。科学史を見ると一目瞭然です。よくいわれるように、裾野が広ければ広いほど高い山ができているということです。

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