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山下清の弟・辰造の子が浩です。清はおじさんになるわけです。弟子志願の人が清の下に訪れましたが、全て清は断りました。甥っ子である浩だけが清から切り絵を教わっています。浩は唯一自分だけが清の弟子だと言っていますが、浩の作品は何のですから、才能がなかったのか、切り絵などの七面倒臭いことはできなかったのでしょう。健常とは何事もそこそこにできる人で、清を考えると、健常でない人はあることは特別にできて、あるものは全然できない人だと思われます。清は「日本のゴッホ」ともいわれますが、ゴッホと違って、知的障碍者にもかかわらず、目を見張るような絵を描いたということで、生きているうちから、有名になっています。反対にゴッホは一生涯無名で、一点しか作品が売れなかったそうです。それも安い値段で売れただけです。これに対して清はこう言っています。
「ほかにすることがない人がかいている絵が、お金がならなければ仕事とはいえないので、なまけているのと同じになるのです。絵を描くことを仕事にしている人の絵は、その人が生きているうちにお金になった方がいいと思った」
ゴッホにも弟がいて兄を助けていたそうですが、清も弟の辰造いて、ゴッホの弟よりもうまく兄を助けています。百貨店の展覧会など催し、経済的にも豊かになっています。一緒に住んでいて、清にはアトリエの部屋まで作っています。母親も一緒に住んでいて、精神的にも落ち着いた状態になっていたのでしょう。残念ながら50前脳溢血で亡くなっています。
清の言葉には哲学を感じさせるものがあります。徳川無声との対談で、自分の絵は兵隊の階級で「佐官級か・・・」と自慢した後、無声から、「自分の絵はうまいと思う?」と聞かれ、「人間は自分のことってわからないんだな」と答えています。また百貨店の会社員は清から「自然に行くのがいいんだな」と言われ、「挫けそう」なときは、いつもこの言葉を思い出し、励みにしていると言っています。
古来、日本では知恵遅れは福の神でもあるという精神風土があります。実際にはいろいろといじめられたこともありますが、戦前、清が世話になった弁当屋の主人に可愛がられています。最近障碍者を何人も殺した犯人の、障碍者は殺されたほうが幸せなんだという発言で、これから日本はどうなるのだと暗澹とさせられます。