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山下浩嗣 パスカル「パンセ」を楽しむ

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山下浩嗣 パスカル「パンセ」を楽しむ


       この世で中途半端な者ほど始末に終えないものはないとパスカルは言っています。すなわち我々大方が始末に終えないものなのです。度し難いアホと度し難い賢者は我々の尺度を突き抜けていますから、我々には測れません。もう彼らは神の領域にいるのかもしれません。アホでもないが偉くもないわれわれは日々欲望に駆られ、いつの日か死が訪れるということを紛らわすために「気晴らし」(
divertissement)にかまけ、何ら信仰に精進することはない生活をしていると説明しています。死後の世界があるのか、神は存在するのかを、賭けの理論で説き、もし神が存在しないとわかれば、神を信じたものも信じなかったものも0だが、神を信じ敬虔な生き方をして死ぬと神の恩寵があると知ると無限大になり、信じなく放蕩をし尽くした生きたで死ぬと、それが0かマイナスかで地獄に落ちるということになれば、やはり生きている間は敬虔に生きて神の恩寵を得るほうが得だということになると数学的に説明しています。しかし中途半端なものは今現在の楽しみのほうが先で、何ら面白みのない敬虔的な生き方は退屈でたまらないでしょう。死んで地獄で身を焼かれようが、酒池肉林の世界にはまるほうが楽しくて仕方ありません。あとは野となれ山となれで、中途半端なものは目先のことしか考えていないのです。パスカルはこのようなことではいけないと言っていますが、最近の傾向として死んだ後のことより、今現在を重要視している生きかたますます隆盛を誇っています。つまり昨日書いた歌舞伎町のホスト「信長」の生き方、即ち神から好かれるような生き方ではなく、他人から好かれるような生き方、そこには絶えず「自己愛」が絡み合っていて、愛し合いされるのが取引のような状態になっているので、いつ何時崩壊するやも知れぬ不安定な生き方しかできないようになっているということです。パスカルはそれに対して、決して裏切らない「神」への愛が心の安定をもたらすのだといっているのです。

もはやキリスト教者もほとんど神の存在など信じていないのですから、パスカルの言う純粋な神への帰依の行き方はできないかもしれません。やはり東洋人としてはブッタや儒教の「中庸」と「寛容」こそが生きる指針としては一番いいのかもしれません。

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