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山口謠司 ひらがなの誕生

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山口謠司 ひらがなの誕生


         913年「古今和歌集」が出たことによって、「ひらがなの公的な」誕生といっています。そうはいっても純粋にひらがなだけで出来ているわけでなく、「変体仮名」という万葉集につかわれた漢字の崩し文字も混じっています。つまりひらがなの「50音図」だけではなく、同じ音であっても別の漢字の崩し文字もあったということです。万葉時代、平安時代にかけて、日本語の発音は今の「50音図」以上に多くの発音があって、今では同じ音に見えますが、当時は漢字を換えてちょっとした発音のニュアンスの違いを別々の漢字を当てはめて表現しています。たとえば藤原不比等が生きていた当時の発音ではこの名前は、「ぷでぃぱらのぷぴてぃゅ」と発音したそうです。まるで韓国語のようです。言語学には800年説というものがあって、800年も経つと同じ言語であっても、様変わりしてもともと一つであったとは思えなくなるというものです。現代で源氏物語の原文を注釈なしで読める人はあまりいないでしょう。100年前の明治の文献でも読みづらくなっています。文字の伝来は百済の僧とかがもたらしたものですから、日本語の発音を漢字に当てはめようと努力しても自らは朝鮮人ですから、朝鮮語の発音と混合していたのではないかと、私は思っています。それか先進国人である渡来人たちが朝廷の中枢を占め、おのずと彼らの朝鮮語なまりの日本語の発音が主流になったのではないかと思ったりしています。数千年前は日本語も朝鮮語も同根で、緩やかに別れていったのではないかともとれます。同じ膠着語系で、今でも語順は同じです。近隣同士ですからお互い影響はまぬがれないものです。

山口謠司よるとひらがなの広まりはこのようなことによってだろうと推測しています。

「自然という無限に対する人の世の有限性、そしてどうしようもない心の寂しさや虚しさを書こうとするとき、借り物の漢文では表すことのできない日本人ならではの表現が必要になる。仮名が男手から、女手になってひらがなを生み出すには、政争に巻き込まれて苦しむ氏族たちと、女たちのどうしようもない心が必要だったのではないかとおもうのである」

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