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この本のタイトルに対して、日本人だから円を使うのではないかと言ったら、偏差値の低い学生の答えでありましょう。東大卒の答えはもっと複雑で、象徴的な言葉が飛び交います。「評価」「信用」「格差」「自由」一万円札は肉も買えて、ひょっとしたら女も買えるのではないかと即物的に思っていたりすると、その先一歩も前に進みません。教養とは遠回りする力です。まず一万円札は単なる紙切れだと考えてみる必要があります。普通なら紙切れだと松坂牛の肉と同価とは考えられません。お互いそれに見合う物で交換し合うでしょう。米30キロを持って行き、肉と交換しますが、毎度米30キロを担いで持っていくことは大変なことです。それでこの紙切れに「信用」を吹き込むと、あら不思議、肉と交換できます。お金とは「信用」とか「信頼」の象徴なのです。でも最近の日本や欧米の成熟した社会では絶対的なお金の「信用」度が揺らいでいるようです。今までの貨幣経済ではカネを稼いで、貯蓄や投資をし、大いにそのための労働に時間を使い、うまくいけば働かないでも「自由」に遊んで暮らせることができるようになるのが理想でした。今の若者はあまりにも格差がつきすぎて、もはやこのような無益な努力をしたがりません。まるで落語の世界になっているのです。江戸の長屋で昼間からぐうたら寝込んでいる店子を見て大家が説教します。若いのに今働いてカネを稼がないと安気な生活は出来ないぞと言えば、店子は「今その安気な生活をしています」このようなことをこの本では「自由時間経済学」といって、もはや今までの貨幣経済が旧式になりつつあるのだと言っているようです。