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私が物心ついた頃はエノケンと金語楼はいましたが、ロッパはいません。昭和36年の1月に亡くなっています。テレビが家に付いたのは私が小学校6年生頃で、昭和35年頃でしょうから、戦前の喜劇大スターは見ていないことになります。ラジオでも出ていたそうですが、私は家でラジオなど聴くタイプではなく、外で遅くまで遊びほうけていましたので、ロッパのことはわかりません。エノケンははじめのころは面白かったのですが、段々陳腐になって、藤山寛実のほうがおもしろくなります。金語楼はNHKのジェスチャーという番組に出ていて、結構面白かったですが、高校生くらいになると金語楼も藤山寛実も古臭く、見なくなります。ロッパは戦前エノケンや金語楼よりも人気のあった喜劇人だったそうですが、戦後徐々に凋落してゆき、貧困と肺病で血をはきながら死んでいます。「変わる時代に変わらぬロッパ」ということで、一旦成功するとそれが禍となって自分を変えられなかったのでしょう。芸能界ははやりすたれがつきものです。誰しもがはやっている時には天狗になります。ロッパもその例外ではありません。劇団の座主になりましたが、いばっていて嫌われ者だったらしい。家柄からかして、祖父は東京帝国大学の総長、実父は「皇室の侍医」、兄弟は皆東大をでています。ロッパは実父の妹が嫁になった古川家に養子に出されます。この妹がロッパを小さいときから活動写真に連れて行き、ロッパ17歳にしていっぱしの映画評論家になっています。菊池寛と知り合い、文言春秋から映画雑誌の編集員になります。平の社員に肩揉みをさせたりして、ここでもそういう態度に快く思わない人があとあと文章にしたためています。ロッパ自身、育ちから別にこれが驕り高ぶりだとは考えなかったでしょう。運のいい時は他人のやっかみや、批判などなは弾き飛ばしてしまいますが、やがて衰運になると、これらのつぶてがじわじわ効果を上げてきます。戦後、若いときからの美食で糖尿けもあり、肺結核にもなり、体力的にも衰え、戦前の活力がなくなります。それが舞台にも現れて、やる気のない芝居になっていると批評されます。おまけに収入も減り、税金も払えなくて、借金で妻と言い争ったりしています。ロッパの一生を見るにつけ、私は自分の店のことを考えさせられます。私の店も父母のときは、ロッパ全盛時のときと同じように「竹さん」を知らぬものはいなかった。それが私の代になると、苔のようにひっそりと生息している情けない状態になっています。ロッパが楽屋でエノケンが一人部屋をあてがわれ、ロッパは相部屋をあてがわれたと言って、自分の落ち目を嘆いていますが、世が世なら「酔心」や「むさし」にも負けない店であったろうにと思っている次第です。