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2011年7月31日にこれを読んでいます。まったくはじめて読むような感じで読んでいました。読んだ後、もしやと思って、パソコン内を検索したところ、やっぱり読んでいました。私には読んだ端から忘れると言う特技があります。何も身についていないということがわかります。世の中には読んだ本は一字一句まで記憶しているという天才もいます。忘れないということは脳に多重の付加をかけることでしょう。天才はそれに耐えるだけの脳をもっていたということでしょう。その点私は耐性がないのですから、記憶などはなから無理です。いい点はどの本も新鮮に見えてくるということです。
前と同じことを書いても無意味ですから、別のことを書きましょう。江戸時代になると武士は戦闘員ではなくなります。今で言うところの公務員か会社員になったということです。腕力や剣道が強いというよりは、対人関係がうまいというほうが高く評価されるようです。権力勢力をよく見極め、上昇運のある上司に認められるとおのずととんとん拍子に出世するようです。放漫財政の田沼意次時代から、緊縮財政の松平定信に変わったのですから、これにすばやく順応しなければなりません。これができない人は閑職か御役御免になります。江戸時代300年も上司べったりの労働環境が続いたのですから、どれもこれも上司以上にはなれません。これが今日の東芝問題にもつながるようです。代々の社長も代々の社長の引き立てがあってなったようなものですから、時代の急激な変化についていけないような組織になっていたかもしれません。アメリカの創業者は若く、あっという間に大企業になっています。日本では60歳前後でようやく社長になり、もはや冒険などできるような気概はありません。社長である時期穏便であってほしいという願いだけで、変化など好まないようです。江戸の鎖国時代にはうまくいっていた体制も今日では通用しないということです。