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山田奨治 東京ブギブギと鈴木大拙

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山田奨治 東京ブギブギと鈴木大拙


         鈴木大拙には実子ではなく養子にした男の子がいました。名は勝、別名アラン、大拙にとって「不肖」の息子です。父親は三越に勤めていたスコットランド人の裁断師で、日本人女性と関わって生まれた子供です。大拙にはビアトリスというアメリカ人の嫁さんがいたのですが、子供ができなくて、このカップルにふさわしい子供がいたので養子にとった次第です。ところがこの子は小さい頃から虚言癖があり、外人の血が入っていますから早熟で、もう中学校くらいで女と遊びまくっています。戦前の軍国時代に「あいの子」は結構つらいものがあったと思われます。男連中からは排斥されましたが、この西欧顔は、今もそうですが、女性からもてもてだったということがわかります。同志社大学に進み、元首相の宮沢喜一と一緒に日米学生会議にアメリカに二年連続参加しています。こういったいいところもありましたが、素人娘をはらまし、大拙に200円の手切れ金を払わせたこともありました。当時の200円は今に換算すると300万円くらいにはなるのではないかと思われます。アランの女癖の悪さに大拙は手を焼いていて、アランが日米学生会議で知り合った東京女子大の久保ノブとの結婚式には出席しませんでした。敗戦後、かつて京都のダンスホールで知り合った歌手の池眞理子と結婚します。二重結婚です。その後ノブとは協議離婚します。この頃がアランの絶頂期です。「東京ブギブギ」の作詞家として名が知られるようになりました。ところが、好事魔多し、2,3年後高名な学者・式場隆三郎の娘・美香子に手をつけ、池眞理子とも離婚します。アランは酒で荒れるようになります。とうとう最悪の事件を起こしてしまいます。事務所のホステスを連れ込んで、裸の写真を撮り、なおかつ強姦しようとしたのでそのホステスは3階の窓から飛び降りました。大々的に報道されました。これに対して大拙はこう述べています。

「アランはすでに40を超えている。わしとしてはアランのためには正規の大学まですでに出してある。従って、どういう面からみても一人前の人間であるということがハッキリ言えるわけだ。一人前の社会人としてすでに独立しているのだから、いくら親であっても、いちいちとやくいえることはない。チャーチルの娘などの場合は、非常に派手なことをやっているけれども、外国ではいちいち親を引き合いには出さない」

今でも事件を起こした人の親を叩くような報道がなされていますが、大拙の言うようにやめて欲しいものです。

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