[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
歴史ではたくさんの資料を読み込むと、歯切れが悪くなります。人間だれしも矛盾だらけで、今思ったことと、ちょっと後で思ったことが全然違うこともあります。ましてや死んだ過去の人たちの思いなど、日記などを通して推量するしかないのですが、その当時のシチュエーションがすべてわかっているわけではなく、おのずと断定的な文言を控えることになります。ここではトルーマンの日記です。原爆を落としたのはソ連を牽制するためだったとかという問題です。アメリカ一国で日本を占領したいと思ったかということです。ソ連が参戦することで、トルーマンは日記で「これで日本は終わりだ」と書いています。米兵の死傷者が少なくなるのを喜んでいるようにも思えます。どちらが正しいのでしょうか?
原爆は人体実験かという問題もあります。はじめドイツに落とすのが日本に変わったということは人種差別からだという人もいます。原爆が使用できるようになったのはドイツが降伏した後ですから、そうでないようにも思われます。昨今のコロナ蔓延でアジア人ヘイトがいかに激しいかがわかりました。ルーズベルトも終戦後の日本を農業しかできないように、すべての工場を破壊しつくすべきだと唱えていました。広島市の比治山にABCCというアメリカの施設がありました。原爆の調査をしていました。しかし治療に一切はしていません。調査の内容は日本に知らすことなしです。この本の著者は、人体実家か人種問題かということに関して、曖昧なままです。正確さを重んじる歴史家にとって、こうだと断定するのはなかなか難しいものなのでしょう。