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長州藩の下級武士出の山県有朋は少年のころは槍の指南役を目指し、日夜樹木に向かって槍を突き立てていたそうです。馬韓戦争のときは有朋は奇兵隊の長となり、四カ国連合軍と戦いますが、砲台を占領されたあげく、有朋も銃弾を受けます。この経験が戦争には近代的な兵器が必要だと痛感させます。後に陸軍の頂点に立ち、日清戦争で清を負かせます。この頃から、維新で活躍した若者たち、伊藤博文、山県有朋、井上馨など薩長の連中が元老となります。伊藤博文がハルピンで暗殺されると、山県有朋が一番の元老となり、これから後内閣の組閣に対して、裏から力を行使することになります。大正11年(1922)に亡くなります。83歳、明治としては長生きです。しかしこの長生きが山県有朋の葬式をさびしいものにしています。裏から政治を操作する「元老」というパワーが疎ましく思われていたのです。写真からも見てとおり、細身で頑固そうな顔つきをしています。意地の悪い舅といった感じです。婿(内閣)をいたぶる舅です。年寄もいい加減にしないと、後のものが育ちません。やはり80歳を過ぎたら、免許証を返納すべきでしょう。アクセルとブレーキを踏み間違えて、コンビニに衝突する可能性が高いのですから。