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私は店をやっていますから、よくなにげなく「看板でーす」と言っています。店をしまうことをなぜ看板ですというということを深く考えたことがありません。この本を読まないで、なぜ看板というのかを説明せよと言われたら、はたと困って、看板と店の終了の接点が見つけられません。江戸時代、店屋の看板は家に架けられた看板、壁に打ち付けられた看板、それに簡便な軒につるされた看板がありました。吊るされた看板を店が終わったら店の中にしまっていたので、「看板でーす」となったのです。あまりにも当たり前すぎて、このような疑問を思いつかなかったという例が他にも多くあることでしょう。
私の店には「福助」の陶器の置物があります。多分50年前からあるものです。私は福助足袋という会社があって、その宣伝用にもらったものではないかと思っています。というのは父母の時代、福助足袋で働いていた人が辞めて、店で働いていた時があったからです。だから福助もこの会社のマスコットでその会社が創作したものだと思っていましたが、実は京都の大文字屋という呉服屋の主人で、「頭の大きい小男」で、貧民に施しを与えたので、恩返しに貧民が彼に似せた人形をこしらえたという話からきています。他にも説があるのですが、いずれも福助のような顔相は富者になり、幸せに暮らせるのだという逸話が残っているのです。ちょんまげをして裃を着ていても、武士のようにえばっていなく、謙虚にお辞儀している格好ですから、だれからからも好かれるのでしょう。
また福助と同じくらいの大きさの黒い招き猫もありましたが、壊れたか盗難にあったかわかりません。この「招き猫」も江戸時代の花魁の逸話から出てきます。猫好きの花魁・薄雲の飼い猫が殺され、悲しんでいるのを見た「日本橋の唐物屋の主人」がその猫に似せた木彫りの猫を贈ったのが始まりで、花魁とは今で言うところの超一流の映画女優のようなものですから、その花魁が木彫りの猫を大事に抱えているのを見て、ある知恵者がその猫そっくりなものを売り出したらこれがヒットしたということです。特に水商売関係に絶大なる人気を博しました。私の店も陶器の招き猫はなくなりましたが、生きた野良猫がうろつきまわり、夏など戸を開けていると、呼びもしないのに厚かましくも入って来たりします。皿でも投げつけてやろうと思いますが、たたりでもあったらいけないので、シーシーと追い払っています。そういえば最近ネズミも出てきません。沈没する船からは事前にネズミはいなくなるという話があります。猫が増えたせいだと思っていますが、私の店もそろそろ終わりが近づいているようです。