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「ブッタ」とは悟りを開いた人、覚醒した人といった意味具合で、釈迦族の王子で、20前にして世の中をはかなんで、放浪した人もいたかもしれないが、紀元前500年頃からバラモン教から派生した一派が出てきて、悟りを開いた人としてブッタと名乗るひとが多く出てきたという説明です。キリスト教のイエスやイスラム教のマホメットほど確実に存在していたとは言い切れないということです。初期原典のスッタニパータは紀元前100年頃であり、ブッタが死んで400年以上も経って出来たものです。そのほかの仏典も紀元後できたもので、果たしてブッタがいったのかどうかはわかりません。その点、キリストは死んでから50年ほどで福音書ができていますし、コーランはマホメットが直接神の言葉を聞いて書いたということですから、実在することは確かかもしれません。日本のように1000年前でも、歴史書が残っていますから、ブッタのような著名な人がいればきっと記録に残されているでしょう。インドのように歴史の記載をしない傾向のある国では、1000年前のことなど夢の、また夢の中でありましょう。
仏教は開いた宗教でありキリスト教やイスラム教は閉じた宗教だと島田は言っています。要は仏教では後継者が好きなように自分の宗教を構築できるということです。「悟った」といっても何も具体的なことは言っていません。各自が悟ったといえば悟ったことになるのでしょう。禅問答でしきりに悟った悟ったといっていますが、それも何を称して悟ったのか余人にはさっぱりわからないのです。わからないことが神秘性を与えて宗教にはいいのかもしれませんが、何か腑に落ちないものがあります。
しかしながらブッタの言葉にハッとすることがあります。
「白髪頭やはげ頭と言っても、単に無駄に年老いた人と言われる人もいます」
私も70近くになり、白髪頭になっていますが、「単に無駄に年老いた」と自分でも思うことしきりの今日です。