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ユダヤ・キリスト教が近代資本主義のバックボーンをなしているというのがこの本の趣旨です。ウェイバーやゾンバルトが言ってきたことですが、彼らは一神教の世界のどっぷりつかって、まるでブラックホールの中にいるようで、そこから抜け出ることができなく、ブラックホールの外のことは見えないようです。その点島田は、世界の周辺ですが、多神教とも、無宗教ともつかない環境の中で、これら一神教の奇妙さが彼らの経済にどのような影響を与えているかがわかるようです。
たとえばこの前のサブプライムローンから発生した金融恐慌ですが、倒れそうな銀行にアメリカ政府は税金を投入しました。ところがその銀行の幹部たちは何十億円ものボーナスを自分たちに支給しています。オバマ大統領は怒りましたが、誰一人ボーナスを返上した幹部はいません。ユダヤ・キリスト教の終末論、選民主義、ノアの箱舟が絡むのです。これら幹部の気持ちは、自分たちが神から選ばれたものであり、世界の終わりにはノアの箱舟のように助かったり、天上に引き上げられるのだと信じているようです。神にかなうものは、神だけに恐れを抱くものであって、たとえモーゼの十戒があっても、他の人間を神のように恐れることはありません。だから自分たち以外の民族に対しては非常に残酷になれるのです。アメリカインディアンがいい例です。
ゴーン氏もそうですが、年収10億円以上もらう日本の社長は少ないでしょう。派手な生活をするものはホリエモンか健康食品でもうけた何とか王子くらいなものでしょう。日本の金持は結構地味な暮らしをしています。稲作文化の村の思想が根強く残っているのです。水の管理などみなが協力してやっていかないと太刀打ちできない世界です。ひとりだけ傑出して、豊かになるということはできない世界です。みんながほどほどに足を引っ張っている状態です。ゴーン氏は外国人だから仕方ないとしても、自分の会社の社長が何十億円もとり出したら、非難の声は出るはずです。日本には明瞭な神はいないかもしれませんが、「恥」の意識は強いものがあります。自分だけいい思いをしたいという人間には「恥を知れ」という怒号が飛びます。一神教の選民意識も日本から見ると恥じそのものであるということです。