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読書

崔 吉城 朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実


    朴氏(1905~1979)が書いた日記で、ビルマやシンガポールで慰安婦所の事務をしていた人です。慰安婦所を経営した人の名前は日本人名が多いですが、それは創氏改名で朝鮮名を日本風に変えたものです。慰安婦の名前も和子とか和名に変えているものもあり、今風に言うと水商売の源氏名だと同じです。朝鮮の業者が朝鮮の女性を引き連れて、前線まで行って商売していたということになります。朝鮮人女性の募集に日本軍が関わったかどうかは、この日記では定かではありません。朴氏は朝鮮人女性を慰安婦として働かせることに対して恥とは思っていないようです。慰安婦所の売り上げが2000円以上もあったとか、「兵丁券が14枚しか売れなかった」とかいって、喜んだり悲しんだりしています。朴氏の日記のなかには日本軍の武運長久を願っている箇所もあり、現在の韓国の日本毛嫌いとはエライ違いです。帝国臣民という意識を持ち、「国家の聖戦の戦士たちを慰安する慰安業だというプライド」すら、日記の文面から感じられます。朴氏は病気で慰安婦を続けられなくなった女性を故郷に返す手続きをし、彼女の溜めた貯金を送金したりしています。また慰安所の経営者の儲けた金3万2千円(現在価格では、8530万円)を朝鮮の彼の実家に送金しています。ほんとか嘘かわかりませんが、生理でできないというと刃物を振り回した兵隊を、反対にその刃物を奪って刺し殺した慰安婦がいて、裁判になりましたが、無罪になったということがあったそうです。シンガポールでは休みの日、慰安婦たちは映画を見たり、宝石などを買ったりしています。まるっきり自由が無いとはいえないようです。

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