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市川裕 竹中充生 ユダヤの格言

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市川裕 竹中充生 ユダヤの格言


     知恵のエッセンスが格言というものでしょう。年をとっていても知恵者であるとはかぎりません。自戒の意味でもこういったものは絶えず読まねばならないと思います。何しろユダヤ4000年の知恵が詰まっているからです。

「馬鹿笑いと軽薄は人を淫蕩に慣れさせる」

笑いは長生きのコツであると思っていましたが、軽薄にも通じるのです。ユーモアでちょこっと笑うのはいいかもしれませんが、声をひっくり返して笑うのはよくありません。

「ライオンの尾っぽになっても、キツネの頭にはなるな」

中国「史記」の「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは真反対の格言です。格言も時と場所によって使い分けが必要です。ユダヤの格言では優秀な人が集まるところでは優秀な人が育つということでしょう。中国では大きなところで腐っていくよりは、小さなところで活躍しろと言っているのでしょう。巨人のように金で優秀な選手をとっていても、出場できるのは9人、実戦に出ないとどんな選手も技能は落ちていきます。

「キツネに時運があるときには、キツネ頭を下げよ」

これでどのような迫害があっても生き延びてきたのでしょう。辛抱ほど勇気を必要とするものはありません。

「自分の息子に仕事を教えないものは泥棒を教えているようなものだ」

この4月から移民法が改正され、単純労働者を多く受け入れようとしていますが、これは結局、日本の雇用者の賃金を抑制することになり、正社員を減らし非正規雇用をふやすことになるでしょう。この格言のようにオレオレ詐欺が蔓延するようになります。アジアの労働者だってこのような安い賃金で働くよりは、逃亡して犯罪を犯すようになるでしょう。

「生きているとは言いがたい生き方をしている者が三人いる。仲間の食卓を当てにしている者、屋根裏部屋に住む者、そして誰であれ妻の尻に敷かれている者である」

女房の言うなりに生きていくのは波風を立てないということでいいかもしれませんが、やはり男として一本筋がないというか、キリリとしたものが感じられません。

「人にものを与えて恥をかかせるなら、何も与えない方が良い」

恩着せがましい講釈を垂れるなということです。

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