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後藤元気は奨励会どまりです。プロである4段にはなれませんでした。指導棋士として、また観戦記ライターとして生活の糧を得ています。4段になれば対局料が出て、なおかつ将棋連盟から給料のようなものがもらえるのでしょう。プロになれば勝てば勝つほど収入が上がってきます。おまけにタイトルでもとると何千万円ももらえます。この前広島出身の糸谷哲郎が竜王戦でタイトルを取り、賞金の4200万円を手にしました。この25日広島のあるホテルで糸谷タイトル奪取の祝賀会を開く予定です。他人事ながら、将棋愛好者の私もうれしく思っています。かつて亡き村山聖8段がアマチュアの高段者に連れられて私の店に来たことがありました。失礼にも私は村山に収入はいかほどかとききました。言葉を濁していましたが、その当時勝ちまくっていましたから、ゆうに何千万くらいはあったのでしょう。病気がなければ今頃はタイトルの一つや二つくらいは取っていることでしょう。広島からプロの将棋指しが多く誕生するのも、広島将棋センターの創始者の本多さんのおかげです。私は平和公園で100円を賭けてセコイ将棋を指して、負けてばかりいましたから、当時富士見町にあった本多さんの自宅にうかがったのです。本多さはたぶんまだ中電に勤められていて、勤務が終わって、自宅で将棋クラブのようなものをやっていました。同好会という会に入り、会員がそれぞれ段級を持ち、段級の差によって駒落ち戦をやっていました。ほどなくして本多さんは会社を退職され、八丁堀に広島将棋センターを作ります。そこでも同好会はあり、私もとうとう初段になります。といってもこの初段、恥ずかしい思い出でもあります。相手は学生で初段、私は1級で、これに勝てば初段になれるという一戦です。当時はチェスクロックもなく、私は一手指しましたが、自玉の詰めがあるのに気づき、指しなおしました。これには相手が不服な顔をしましたが、年長者であるぞよといった態度で押し切りました。俗に将棋指しの言うところ、まだ指が駒についているということで、ペチャと盤に駒を打ち付けましたが、まだそこの打つかどうかは決めかねているのだといういい訳です。要するにマナーの悪い指し方です。いまでも思い出すと、自分の嫌な性格がもろに現れているようで、欲しいものを得るためには道徳も無視するというものが私にはあるようです。