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今、年間120万個の棺桶が作られているそうです。我々団塊世代が大量に死ぬ2030年頃は年間170万個の棺桶が作られるだろうと予想されています。もうじき私も棺桶に入るかもしれません。バイクで店に行く時鶴見橋の上で、この川上から川下の景色もいつか見られなくなるのだと考えると、バイクがよれよれと蛇行したりします。他者の乗用車やトラックが私を跳ね飛ばしてくれて労せずしてあの世に旅出すことが出来るということもありえます。またそれもいいかと思ったりします。この本でも井伏鱒二の漢詩の訳を引用しています。
「君盃を受けてくれ、どうぞなみなみ、つがしておくれ、花に嵐のたとえもあるぞ、さよなららだけが、人生だ」
どうせ死ぬなら桜の散る春がいいかもしれません。西行も言っています。
「願わくは花の下にて春死なん、その如月の望月のころ・・・」
こういった詩的な死に方をすればいいのですが、大概は介護を受けてチューブを取り付けられて、疲労困憊して死ぬほうが多いのでしょう。徳永は医者ですから、人間寝たきりになり、やがて食えなくなったら死期は近いと言っています。尊厳死をしたいのなら、今からでも断食をマスターし、もう駄目だと分かったら食わないようにすれば立派な死に方をすることができるかもしれません。しかしながら私にこのような強い意志があれば今頃何者かになっていただろうと思われますが、何にもないところを見ると、たぶんじたばたして死んでいくのだろうと想像されます。