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文藝春秋社 天才・菊池寛 逸話でつづる作家の素顔

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文藝春秋社 天才・菊池寛 逸話でつづる作家の素顔


          顔をみるかぎり天才だとは思われませんが、努力の人だとこの本で知らされました。中学生時代英語の辞書をすべて暗記したそうです。朝4時ごろから起きて勉強していました。勉強だけしたわけではなく、釣なども楽しんでいます。むすびに釣りの餌のミミズが張り付いていてもいっしょに食べていたそうです。この傾向は大人になっても変わらず、将棋しながら懐から綿ぼこりのついた菓子などを無造作にほうばっていたそうです。

敗戦後戦犯になりました。軍部の要請によって、中国の戦線に作家などを派遣さしたのがその理由でしょうか。菊池寛の言うところでは、あくまでも彼自身は中道で歩んでいたということです。文藝春秋の話の屑篭のなかで、戦時中自由にものが言えなくなったことについて苦情を呈し、「あらゆることに対して、もう少し堂々たる反対論やら異説があっていいと思う」と書いています。思うに菊池寛の理想は日本の封建風土を徐々に自由な民主主義の国にソフトランディングすることにあったようです。

敗戦後に「其心記」でこう書いています。

「今度の戦争中にも、こうした便乗派が至る処に跋扈した。それは、軍部に便上することに拠って、できるだけ自分の地歩を護持しようというのであった。こういう連中に限って、他人を非国民呼ばわりをし、自分の滅私奉公振りを吹聴し、出切るだけ自分が社会の第一線に、押し出そうとするのである。・・・こうした便上者、付和雷同者によって、軍部が見る見るうちに、その勢威を増大したことは、争えない事である。」

日本国民の一方的に傾く傾向は社会主義者にもあったとも書いています。

「・・・自分はこのまま社会主義乃至共産主義化するか、それとももう一度反動時代がくるのではないかと考えていたが、後者の予想が当たって、思いも依らぬ大反動時代に入ってしまったのである。だから、大正末期に於ける共産主義の勃興が、あれほど激しくなかったならば、日本は徐々に民主主義化、社会主義化の道を辿ったのではないかと思う。共産主義を弾圧するために、そのとばっちりを喰らって、あらゆる進歩的な、自由主義的なものが、社会主義的なるものが一緒に弾圧されてしまったのである」

昭和2年の文藝春秋のキャッチコピーは「6分慰安と4分の学芸これ文藝春秋のモットーです」とあります。菊池寛が最も嫌ったものが「背景に学問を持った馬鹿」だそうで、視野の狭い、またそれゆえ一方的になりやすい人間を嫌ったのでしょう。

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