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「これだけ頭が良くなって、お代はたったの税込み821円、それほどこの本お得だから、読まにゃ損々!」
作者の名前も珍しい。ときまさかずと読ませる。ペンネームなのでしょうか?
「人は自然も人工物も、ありのままに見ようとはせず、あくまでも自ら作った分類に従って見ようとする。自ら作った文化というフィルターをかけ、そのフィルターを通してしか認識しようとはしないのだ。そしてそのあげく、フィルターの存在にも、自らが「常識」「当たり前」の権化と化していることにも気づかないのが、人という変な動物なのだ」
まさしく言葉そのものが一種のフィルターそのもので、人の考え方もその使用する言葉に引きずられて形になって行きます。雪に関する名称も寒い地域では数多くありますが、熱帯では雪そのものがないのですから、その名称すらありません。ここにも出ていますが色に関しても、エチオピアのボディ人は98色も見分けられます。たぶん生きるためにはその色を見極めないとまずいことがあるのでしょう。植物や動物の毒を持つものと持たないものの見極めのためにその能力が発達したのかもしれません。
かつての大航海時代から欧米先進国が世界を席捲していた頃、これらの国の文化こそ世界で最高の文化であるということになっていました。大砲と宣教師とで後進国だと思われる国を侵略していきました。なかにはモンテーニュのように、連れてこられたアメリカのインディアンを見て、ヨーロッパの騎士に劣らず毅然としたところがある感想を述べた人もいますが、大方はサーカスの見世物として人間と見える動物として見ていたのでしょう。
20世紀近くなると、言語の研究や、それらの地域の生活や文化を研究することで欧米の文化が唯一絶対的なものではなく、まるで天動説から地動説になったように、欧米の文化も不動で中心的なものではなく、おのおのの文化と同じように地球に住み分ける文化の一つに過ぎないという覚醒につながります。
特に日本は島国でありますから、おまけに近眼国でありますから、分厚いレンズを通してモノを見ますから、他国には理解しがたいことがあるような気がします。我々はもっとモンテーニュを見習って、物事を偏見なく見るようにしなければならいと思われます。