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日下部一郎 陸軍中島学校実録

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日下部一郎 陸軍中島学校実録


     日下部一郎は昭和13年にできた中野学校の一期生の18人の一人です。その中の一人は不祥事を起こし、腹を切り、仲間に介錯されています。最終的に中野学校の卒業者は3000人なっています。これらが防諜、暗殺、謀略にかかわったということになります。本文中日下部は久村になっています。久村は中国で病院長を銃で撃っています。川島芳子を北京から追い払う工作もしていました。共産軍と戦うために匪賊に日本製の武器を与える交渉もしています。しかし匪賊が集まったところで、一網打尽にして日本陸軍は捕まえてしまいす。しかしアメリカやイギリスの防諜組織と比べると、まったく用を為さないように思われて仕方ありません。戦争に負けたからそう思われるのかもしれませんが、初陣でソ連との国境を爆破しましたが、ソ連の防諜組織は東京からやってきた連中だと見抜いていました。よく言われるように戦争が始まると、日本では英語が禁止状態になりましたが、アメリカは日本語を学ぶ学生を増やしていました。暗号を解読し、外務省も軍の無線も筒抜け状態でした。孫子の兵法をアジア人である日本人よりアメリカ人のほうがよく理解していたということになります。日露戦争で、バルチック艦隊がアフリカ大陸の喜望峰を回った時に、アフリカに渡った唐行きさんが日本領事館に打電したということがありました。東郷平八郎の銅像はあるようですが、あの愛国者の唐行きさんの銅像がないということが、いかに日本が情報を軽んじていたかがわかるというものです。最近大使館人を増やそうとしていますが、ただワインを飲んで会食するだけの人間など増やす必要があるでしょうか?

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