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日本霊異記 今昔物語 宇治拾遺物語 発心集

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日本霊異記 今昔物語 宇治拾遺物語 発心集


         現代語訳で特に町田康の宇治拾遺物語がおもしろい。古文ですらすら読めればこしたことがないのですが、辞書を引き引き、一日に1ページも前に進まないでしょう。おまけに間違った解釈をするかもしれません。若い時の鍛錬がなっていないからです。

これらを読むと、いくら仏教や儒教が入ってきても、依然として日本古来のものが沸々として沸きおこっているということです。性に対して大らかなのです。俗に言えば男も女も助平で、それを恥ずかしいとは思わないのです。偉いお坊さんが貴族の家に行き、そこの奥さんに一目ぼれをします。それからその坊さんは鬱々として病気のような状態になります。心配した貴族が尋ねると、お前さんの女房に惚れたと告白します。以前から僧を尊敬していた貴族は自分の女房を説き付け、一夜僧と同衾せよと命じます。妻も嫌がりもせず却って喜びを持って僧と寝ることに同意します。さてその夜になり、僧は布団の敷かれた部屋にはいっていきます。さっそくやるかと思いきや、僧は着物など脱がないで、女を二時間観賞します。それから何もしないで退出するのです。要するに部屋まで入っていくまでが日本的で、とってつけたようなその後は仏教的なものです。仏教や儒教では他人の嫁さんに欲情する自体がアウトです。嫁さんも他の男と寝ようと積極的なのは、日本以外の国では考えられないことです。仏教説話集ですから、最後には、「愚か者は、仮の存在に夢中になって心を乱す。厠の中の虫がうんこに夢中になるようなもの」と言っていますが、愚か者は、何もしないで、献身的な妻に恥をかかせた僧侶ではないかとも考えられます。仏教発展時、とんだいかさまも出てきます。欲望を断ち切るために自分の陰茎を切り落としたという僧侶がいました。実際に見るとあるべきところに棒のようなものはありません。ところが機転者の貴族が自分の小姓に命じ、僧侶の下半身を撫でさせます。陰嚢のひだを延ばし、そこに隠し、陰毛にのりをつけて落ちないようにしていたところ、くすぐられて一物が大きくなり、陰毛も支えきれなくなって、どっと肥大した一物が出現します。これでそこに居合わせた人々が大笑いをし、この僧侶もまた大いに笑ったということです。このような馬鹿話を千年前に書き残している日本は偉いというのかアホかというのかわからない国ではあります。

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