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旗本退屈男から鬼龍院花子の生涯くらいまで、映画界の衰勢が見て取れます。いかに大衆が飽きっぽいのがわかります。近年ますますこの飽きっぽさはサイクルを短くし、かつてのマーケティングの手法では対処できなくなっているようです。これはどの分野でも同じ傾向になっています。昨日成功したものは今日では時代遅れになっているのです。ほとんどのものが明日何かトレンドになるか分かる人はいません。
旗本退屈男の頃の時代劇は同じパターンの繰り返しでも、ほかに楽しみがないものですから見ていたものです。テレビでも同じことですが、「水戸黄門」のように決まった筋があり、クライマックスの「印籠」がでて終わります。代表的な俳優が片岡千恵蔵、市川歌右衛門(旗本退屈男)、中村錦之助(後にテレビ出演して変貌を遂げる)、大川橋蔵、大友柳太郎(丹下左膳、よく寄席で物真似されていました)などが東映にいて、美しく人を切っていました。私も剣豪少年であったものですから、その構えをまねたものです。
やがてテレビができてこのような映画は飽きられます。この頃から映画の斜陽が始まります。落ち目になりつつありながらも、時には花火を打ち上げる時もあります。広島西条の出身の東大での岡田茂(後に東映の社長)が「任侠」路線を打ち出し、広島のヤクザのことを描いた「仁義なき闘い」などで息を吹き返します。この映画で広島はヤクザの町に思われるようになりました。広島弁即ヤクザことばになりました。セリフの最後につける菅原文太の「のー」とひきのばすのは相手を威圧するには十分すぎます。
やがて岡田も年をとり、時代についていけないようになります。息子の岡田祐介が父が死んで社長になりましたが、苦労知らずの二代目は京都太秦の映画製作人とはうまくいっていないようです。