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「朝鮮雑記」は1894年に日刊新聞「二六新報」に連載されたものをまとめたものです。李朝末期の朝鮮の状態と日本との係わり合いが記録されています。その当時から日本人は快く思われていないようです。「倭寇」と豊臣秀吉の朝鮮出兵が災いしています。本間九介も1919年の3・1独立運動の際、暴徒によって殺されました。朝鮮合併後本間九介は諜報部員として働いていたのかもしれません。
朝鮮での日本人商売人と中国の商売人の違いをこう述べています。中国人は小さな利益を求めてコツコツ商売するが、日本人は一か八かの商売をしたがり、結局中国人は金を溜め、日本人はその後塵を拝していることになっていると言っています。また日本人は「蛇に咬まれた時の毒害に万金丹を塗り、睾丸炎に解熱剤を与え」旅の恥はかき捨てと言って意に介さない旅行者が増え、ますます朝鮮人は日本人を信用しなくなっていると言っています。福田某の商人にいたっては、京城(ソウル)で馬を下りて歩かないといけない場所で馬に乗ったまま通り過ぎようとしたので朝鮮人の怒りを買いましたが、反対に懐から銃を取り出し、蹴散らし、なおかつ役場に行き、自分を包囲した朝鮮人の逮捕を求めました。役場は仕方なく日本人には「不都合のない」とのようの訓令を出したということがあったそうです。
瀬戸内海や山口や九州の漁民が朝鮮の海岸に行き、魚を獲っています。日用品、例えば米などを買うために獲った魚を売るのですが、朝鮮人は足元を見て、決してまともな値段では買わないそうです。本間九介はこのような朝鮮人の「圧制無礼」に憤り、日本の壮士に朝鮮に来てもらって、米や味噌を売ってほしいと提案しています。今から考えると朝鮮には漁業権など一切ないということがわかります。国力のない朝鮮は相手の弱みを握って安く魚を買うしか方法はなかったのでしょう。
本間九介には封建制にまみれた朝鮮を何とか近代化させようという汎アジアの思想もありますが、この漁民の問題でもわかるように植民地化を狙っている傾向もあります。やはり本間九介も19世紀という時代の枠にはまった人間であるということがわかります。