[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
英国商船ラベンナ号と日本の軍艦・千島艦が松山沖で衝突して、なんと軍艦が沈没したという事件で、それについて子規が詠んだものです。軍艦といっても排水量750トンで、イギリス船は3000トン、仕方ありません。明治25年(1892)この事件は起こりました。フランスに注文して出来上がったばかりの軍艦です。高校の歴史の教科書にはこのようなことは記載されていないでしょう。枝葉末節のことですから、アレキサンダー大王ほどの価値はなく、これによって日本が大変化したわけでもなく、たかが数十人の海兵が死んだだけですから、新聞記事になるくらいでしょう。しかし郷土史家は、埋もれかかって忘却の淵にあるものごとを掘り返すことに何ともいえぬ喜びを感じることが出来る人です。最近流川で火事があり、メイドカフェが焼け、3人も亡くなりましたが、やがてこの事件も忘れられていくでしょう。しかし50年後にはきっと物好きな郷土史家が掘り返し、そもそもメイドカフェが何ものであるかから解説しているのが予想されます。その当時の町内地図も発見し、この火事の近くにある私の店も紹介してくれるかもしれません。
この本では正岡子規の妹律のことも記載されています。夏目漱石の「坊ちゃん」の「うななり」のモデル・中堀貞五郎の最初の妻でありました。しかし子規の養生のために律は離婚して松山から子規にいる東京に行きます。中堀貞五郎は松山中学から弓削商船の移り、最後には子供たちの教育のために京都に行き、文具屋をやったということです。
女親分麻生イトのことはこの本で初めて知りました。今東光の「悪名」に「実名で登場し」ていると記されています。因島が造船業で沸きかえっていた頃、口入家業で体を張っていたのかもしれません。頭には刀傷があり、写真で見ても親分らしき風貌があります。