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林家正蔵の落語は子供時代の私にはあまり面白く感じていませんでした。玄人っぽいところがあって、子供にはそのよさがわからなかったのでしょう。林家三平や柳亭痴楽で大笑いしたほうです。林家正蔵のあだ名は「トンガリ」というもので、すぐにカチンとくる性格だそうです。この日記でも、正岡溶といっしょに、街中で素人たちと喧嘩し、警察に連れ込まれています。親がそうだから子供の信雄も警察に捕まり、正蔵が引き取りにいったことがあります。ぶん殴っています。やがてこの信雄は刺青をいれるようになり、いろいろな問題があったようですが、姉の多加子は信雄が昭和24年肺結核で亡くなったとき、多くの人が葬式に来てくれたと言っています。人望があったのでしょう。
度々この日記では正蔵が便所の汲み取りをしたと書いています。我々の戦後にはバキュームカーがやってきて、肥を吸い取ってくれていましたが、正蔵は汲み取った肥をどうしたのだろうかという疑問が湧きましたが、後半に娘の多加子がその疑問を解きはなしてくれています。つまり近くの公衆便所に汲み取った肥を流しにいくのだそうです。
太平洋戦争の初期頃はそんなに悲壮感も無く、寄席に結構人が入って演芸を楽しんでします。さすが末期になると大本営の皇軍の戦果華々しいという発表にもかかわらず、寄席に来る人が少なくなり、慰問に出かけることも多くなります。
戦争中であっても税金は取られます。昭和18年の所得税は3500円になっています。前年はこの金額より400円マイナスといっていますから、昭和17年の所得額は3100円なのでしょう。昭和19年の所得税は4000円になっています。当時の大卒銀行員の初任給が75円だそうですから、それを20万円とすれば、正蔵の18年度の所得税は現在に換算すると1000万円ちかくなります。長者番付に載るほどです。今以上に高い収入には高い税率がかけられていたのでしょう。