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読書

柳家金語楼 あまたれ人生

 
    柳家金語楼は1901年生まれで、1972年、71歳で亡くなっています。まさしく今の私の年で亡くなっているのです。戦後金語楼がテレビなどで活躍していたのは、50代、60代です。頭髪がほとんどなく、子供ながらにも、えらいじっさんが元気なものだなと感心していました。金語楼はまた発明家であり、下駄に豆電球をつけて夜間でも足元明るいという履物の特許をとっていると自慢していました。また下駄の前歯と後ろ歯に高低差をつけて、坂道でも楽に歩ける下駄なるものも発明しています。でも坂道が終わったら歩きづらい下駄になるでしょう。洒落で作っていたのでしょう。

十代の金語楼は女性にもてまくり、今で言うアイドルです。17歳で、「町の芸者家の、主人でもあり相場師で、数十万の金持で、しかも38歳で、器量のほどは12人分」の未亡人に囲われ、2年間、この女性にセックスで精気を吸い取られ、ガリガリに痩せこけ、周りから死ぬのではないかといわれ、未練を断ち切り男妾をやめました。それから心機一転、芸道一筋・・・とはいかないで、日本全国、中国のハルピン、大連「そこかしこ」とセックスしまくっています。女性と遊ぶのも芸のうちというほどですから、これらの経験はそれなりに芸の肥やしになったのでしょう。戦後でも金語楼は兵隊落語をやっていました。眉毛が下がったあの丸顔ですから、この本にも書いてあるように、上等兵からお前の顔はたるんでいるという理由でいつもビンタを食らわられて、つくづく自分の顔は兵隊向きではないなと悟っています。戦後は戦後で進駐軍のアメリカ兵に帽子を剥ぎ取られ、禿げ頭をペシャリと手で叩かれています。金語楼の顔は叩きたくなるような顔かもしれません。しかし高座や舞台でのこの顔は何もしないでも笑える顔になっているのです。こうなるまでは、人知れず長い研鑽と努力があったのでしょう。ただぼんやりと過ごした人ではありません。

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