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2,3年前に某有名な建築会社がニセ土地権利書を掴まされて何十億も騙し取られた事件がありました。梶山季之は同じような事件のことを1965年に書いています。一度あることは二度も三度もあるということです。オレオレ詐欺でも、同じ人が二度も三度もひっかかっています。欲が絡まると正し判断ができなくなるようです。
「この3年間(トップ屋稼業)に学んだことは、いかに真実を報道するということが難しい仕事であるか、ということであった。もうひとつは、マスコミにもタブーがあるということである。早い話が政治や経済の姿----裏での取引は確認できないので、書けないことが多い。・・・事実を報道できないという部分があるという事実に気づき、改めて小説を書かねばならぬという意欲に燃えている」
「瀬戸の渦潮」「遺書のある風景」などは、梶山季之が言っているように、トップ屋時代に新聞の三面記事からネタを捜していたということで、そのような中から生まれた小説で、平凡で思われた事件の裏にはトンでもないことが隠されているということがわかります。
「怪文書」「冷酷な報酬」「黒の燃焼室」は実際の企業名や、政治家、実業家を想像しながら読んでいました。これは松下幸之助のことをいっていうのかとか、これは小佐野賢治、児玉誉士夫。これはトヨタで、これはライバルだから日産かな・・・。私小説のように一人悶々としている文学臭あるものより、ドキュメンタリーに近い小説で、文学的な高踏趣味は無いが、世の中このようなもので出来上がっているのかなと思わせるものです。