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植木不等式 ぼくらの哀しき超兵器

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植木不等式 ぼくらの哀しき超兵器


        第二次世界大戦でアメリカのCIAの前身である組織がヒットラーの髭をなくするためにヒットラーが滞在する山荘の農民を抱きこみ、ヒットラーが食べる野菜に女性ホルモンを注入しようとしたことがあったそうです。ヒットラーが女になればカリスマ性がなくなると考えたのでしょう。金をもらっただけで農民は女性ホルモンを注入しなかったので成功しませんでした。似たような話が戦後のCIAにもあります。キューバのカストロ首相の髭を絶やすために、カストロの靴にタリウムを入れようとしました。いまや核兵器を使えば世界が終わりになるので、要人の暗殺やテロが主流になっています。無人機によるピンポイント爆撃とか、今のところ限定的な戦闘があちらこちらで起こっています。

日本でもかつて負けそうなとき、「超兵器」を発明していて、それで形勢を逆転されるだろうと希望が広がっていました。今でも日本の科学は日本全体をバリヤで包んで、ミサイルなど撥ね返す技術を持っているのだと言う人もいます。これらの希望、または願望はまさしく「神風」と同じことです。当てもないことを頼りにしていることはどちらもおなじことです。当てもないことを頼りにしている国は日本だけではありません。中国でも義和団事件の首謀者たちが中国の拳法を身につければ鉄砲の弾によっても刀によっても傷つくことがないというといっていました。戦いの場になれば誰もまともな考え方ができなくなるのでしょう。私も小さいときちゃんばら少年でしたから、無敵な構えをいろいろ考えてみたものです。しかし戦いが始まると、無闇にちゃんばらを振り回した方が相手にちゃんばらが当たる確率が高くなります。変に気取って構えたりすると、すかさず棒切れが頭に当たります。そうなると型などどうでもよくなり棒切れを振り回すだけです。子供のケンカもそうなのですから、大人のケンカもまた戦争も大して変わりがないようです。ボクシングのようにルールに則って行うということはなく、闇雲に暴力の応酬です。

命がけの戦争に合理的精神はなかなか生まれにくく、かえってとんでもない考えが蔓延る場合が多い。そうでもないと戦争などやっておられないのでしょう。人類にとって戦争とは麻薬でラリッタ状態になるのと同じようなもので、それでなかなか戦争がやめられないというのは、ある面それが心持いいという理由かもしれません。

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