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去年はやったピケティーの本の中で、バルザックの「ゴリオ爺さん」を例に出して資本の蓄積がいかに為されたかを解説されているようです。それに触発されて、経済学者の橘木と文学解説者の佐伯が現在日本の格差社会を論議してみようとなったのです。
現在の日本の状況を知るにはやはり歴史を紐解かないと埒が開きません。日本は長いことある面男女参画社会であったのです。男も女も働いていたのです。江戸になってから武士社会が強固になり武士の奥方は専業主婦になります。そうはいっても女性でカネを稼ぐために働くことが必要でなくなったのはごく一部で、武家の奥方くらいしかいません。明治になっても大方の者が働き、やはり華族や金持や官僚の奥方が少数ですが働かないでも家にいることができました。それが戦後高度成長時代になって、夫の収入が増えると多くの女性も専業主婦になることが出来ました。やがてバブルがはじけ経済成長が止まると、男たちの収入も伸びなくなり、子供が生まれ家でも買ったりすると専業主婦もアルバイトやフルタイムで仕事をせざるを得なくなります。その頃からフェミニズムが勃興し始めます。仕事をした後でも家事をしないといけないということに女性たちは腹を立てるようになります。おまけに職場では見えない壁があったり、「ガラスの天井」があったりして、地位も上がらないし給料も上がらない現実に直面します。たとえ4年制大学を出て学歴を積もうとも、女性は結婚を期にあっさりと仕事をやめることが多い。ということは日本の仕事場は結婚生活、それに伴う子育てと仕事を両立できるような場所ではないということです。血気盛んだったフェミニズムもトーンを落とし、最近また専業主婦願望回帰が起こっているようです。ところが男も非正規雇用が多くなり、満足な給料をもらっているのは少ない。おのずと結婚できない男女が多くなっているという現実があります。美人の女子アナが野球選手と結婚したがるのはその収入の多さでしょう。彼女らも朝早くから夜遅くまで厚化粧してテレビの前に立ちたいとは思わないでしょう。
佐伯によりますと文学なるというものは抑圧を感じ、その「苦悩を吐露」することにあり、最近東大卒の文学受賞者が少ないということは、彼らには「抑圧」ないということになり、能天気に「社会の強者としてのパスポート」を持っているという自信が原因ではないかと言っています。彼らには世界の大学のランキングを示して、世界のエリートと比べたらマダマダだという抑圧をかけないと、文学賞など、ましてやノーベル文学賞など取れないのではないかと思われます。