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大方のものがあまり思ってもいないこんにゃくについて書くということは、目の付け所が変わっているという点で、意表をつかれます。大したもんではないと思われるこんにゃくも調べれば、とても面白い話がごろごろと横たわっています。桜田門外の変での水戸藩のテロリストたちを資金面で援助したのはこんにゃく長者です。幕府に追われて、このこんにゃく長者とその息子は郷里から逃れ、父は異郷で死にますが、息子はどさ回りしていた歌舞伎の9代目市川団十郎一座の劇団員になります。よく落語にあるようの大店の若旦那は芸事に精出して玄人はだしになっています。そのために落語では大店が没落するはめになっています。こんにゃく長者の息子も「にわか役者」を器用にこなしていました。しかしこの息子、明治18年のイギリスで万国発明品展覧会にこんにゃくを持ち込み、その製粉機の図面を展示しました。残念ながらこんにゃくは西欧人には好まれなかったようです。落語の若旦那とは違って、この息子はこんにゃく業界の重鎮になっていたようです。
第二次世界大戦での風船爆弾もこんにゃくがのりとして使われています。我々は東条英機の世迷いごとと馬鹿にしていますが、この風船爆弾はアメリカの軍事専門家によると深刻な懸念を示しています。人類最初のミサイルだとも言えましょう。
「世界で始めて、飛び道具が人間に導かれないで海を渡ったのである。・・・一日100機の割合で風船を放流し続けていたら、・・・少数の大型焼夷弾をつける代わりに数百個の小型焼夷弾をつけていたのなら、もしくは細菌戦の媒体でもつかっていたら、恐るべき破壊がもたされていたことであろう」(W・H・ウィルバー代将)
こんにゃくは小豆と同じものであり、かつては相場の立役者にもなっていました。ギャンブル好きの人間がこの作物の生産、仲介に関わっていました。しかし戦後機械化が進み、製粉化がスムーズに行き、農家はただ生産を多くするより収入をおおくすることしかできなくなりました。それによって原材料の低減化を招き、こんにゃくの「変動相場制」もなくなったということです。