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水上宏明 金貸しの日本史

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水上宏明 金貸しの日本史


    大まかに金貸しの日本史を述べると、大和朝権ができたころは、国が農民に田植えのために籾を貸し与え、収穫のときは何割かを増して種籾を返してもらうということから出発し、仏教が広まると寺院が金貸しを始めます。鎌倉、室町になると、「土倉」という金融業者が出てきます。質屋でもあり、金主から金を預かり、高利で他人に貸して高い利息をとったりしています。この時代何度も徳政令出て、高利貸しは損をしたようですが、実際はその何倍も儲けているのですから、どっこいどっこいだったのでしょう。特にこの頃から御家人に賭博がはやり、もともと利息など考えない、熱くなっている連中ですから、あっという間に借金もぐれになり、にっちもさっちもいかないようになったのでしょう。江戸時代になると両替屋ができ、これが金貸しもやり、大名の米を管理する「札差」が大名相手に金貸しもやり、庶民にいたっては、「座頭貸し」(盲人の金貸し)やら、「日銭貸し」とか「烏金貸し」とか多彩な金貸しが生まれます。もし私が江戸時代夜鳴きそばの屋台の商売をしているとして、朝、「日銭貸し」のところに行き、100文借りて、そのうち20文は利息として取られ、80文でものを仕入れ、運がよければその夜120文の売り上げをし、次の朝「日銭貸し」へ行って、100文返し、また20文利子を差し引かれ、100文借るという生活を繰り返すようです。これではいつまでたっても、借金漬けで浮かばれるような生活にはならないでしょう。そうかといって今の私も70過ぎても働かないといけないということは、江戸の夜鳴き蕎麦屋とあまり変わらないということになります。

江戸末期日米修好条約が締結されましたが、これによって日本から小判が出て行き、金がほとんどなくなったということです。日本の武士の無知に付け込んでハリスがごり押しした条約の結果です。

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