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蘇我氏の名前を代々並べてみると、蘇我満智、韓子、高麗、稲目、馬子、蝦夷、入鹿。満智は百済の貴族・木刕満智と同人物かといわれているし、韓子、高麗もまさしく朝鮮のことを示している。渡来人かとも思われています。渡来人でなければ、仏教もいち早く取り入れたように、舶来物好きである蘇我氏の性格かもしれません。飛鳥寺の仏舎利を収める儀式には、馬子以下息子の蝦夷、それに参列する者すべてに百済の服を着せて祝ったとあります。馬子は朝鮮から軍事用の馬が入ってきて、それを蘇我氏が管理していたということで、馬子と名づけたのは何となくわかるようなきがします。しかし蝦夷、入鹿とかは、蝦夷とは東北に住む野蛮人であり、入鹿とは鹿のことですから、今から見るとおかしな名前の付け方です。水谷千秋によると、このような名前は「恥ずべき」名前ではなかったといい、他にも「蘆井連鯨」、「民直小鮪」、「置始連兔」という名前もあると書いています。
乙巳の変で入鹿が暗殺されていなかったら、今の「令和」の年号もなかったでしょう。馬子は崇俊天皇を殺した実績があり、孫の入鹿にいたっては王と自称していたくらいですから、天皇に取って代わろうと気持ちは大いにあったでしょう。