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孝謙天皇には弟もいたのですが、生まれて一年も生きられることができませんでした。また腹違いの弟もいたのですが、17歳で脚気で死んでいます。父親の聖武天皇は娘を皇太子にし、やがて孝謙天皇になります。天皇になれるのは男子嫡系で、天皇の子供が幼いので、母親が一時的に代わって、子供が大人になるまで天皇になると言うのが女帝のあり方ですが、孝謙天皇の場合、独身ですから子供もいないし、それも結婚して男の子に恵まれたとしても、男子嫡系でないのですからその子は天皇になれることはできません。やはり、甥っ子などの天皇直系にバトンタッチしないといけないのです。孝謙天皇が病に陥ったとき、現れたのが道鏡で、加持祈祷の美声と、医学にも少し造詣があったのでしょう。見事に癒します。巨大なマラで孝謙天皇のモヤモヤを蹴散らしたともいわれています。道鏡は出世し、天皇になるべきだというお告げも出ます。そこで真偽を確かめるために、和気清麻呂を九州の八幡神社に遣わしたのですが、お告げとは真反対のことが告げられます。怒り狂った孝謙天皇は和気清麻呂の名を「別部穢麻呂」と変えて流罪にします。でもこれによって道鏡の天皇家乗っ取りの策謀は成就できませんでした。もしこの時成功していれば、婿養子天皇ですから、孝謙天皇が生きている間はおとなしくしているようですが、死んだら好き勝手なことをしでかすのではないかと思われます。