[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
このたび広島県出身の岸田文雄が内閣総理大臣になりましたが、敗戦後の総選挙で、広島出身の、それもタレント議員の第一号として石田一松が当選しています。石田一松はヴァイオリンを弾きながら、世相や政治を批判する歌を歌う演歌師であります。明治の初めころから壮士演歌というものがあって、自分の主義主張を音楽性もなく、ただ怒鳴っていただけの演歌を、添田唖蝉坊という人が音楽性を加味し、歌の内容も批判性とユーモア性のこもったものになりました。これらを街中で歌い、その歌詞を記した本を売って生活の糧としていたのです。
石田一松の実家は府中町で米屋をしていましたが、失敗し、橋本町に移りポンプ屋をはじめました。そこそこ生活できるようになります。中学は竹屋町にあった明道中学校という私立の中学校で、他県から手に負えないような学生が大挙して集まった学校です。学校の窓ガラスは破られ、日々学生同士の喧嘩三昧が繰り返されていました。後に大正か、昭和初期ごろか、潰れてなくなりましたが、私が竹屋小学校に通っていたころ、今のフジというスーパーマーケットに中高一貫男子校があり、これがまた「ボンクラ」が多く、喧嘩ばかりしていました。何十年もたっていても、同じようなものができるというのは、どうもその地が何かを呼び起こさせるものがあるようです。一松も明道中学校で相撲部に入り、橋本町から竹屋町まで行く間に遊郭街があり、そこでヤクザと喧嘩し、広島に居れなくなり、東京に出ていき、演歌師になり、法政大学を予科から6年かけて卒業し、敗戦後の総選挙でタレント議員第一号になったのです。一松は天皇信奉者でありますが、戦前の軍部や指導者の在り方を見て、天皇を利用して自分の思い通りにしようとする輩を最も毛嫌いしていました。現在のタレント議員のように党のお飾りではなく、自分の正義感を貫ぬいた男として、この本は書かれています。