[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
今も昔も芸人が生き残れるのは至難の業のようです。当たるか当たらないかは本人の努力にもよりますが、それ以上に時の運によるものでしょう。江戸から明治に、お上も変わったのですから、芸人も変わらざるを得ません。無粋な長州や薩摩の田舎侍を相手だと、江戸の粋を集めた古典落語などしてもわかりはしないでしょう。おのずとわかりやすい所作にとってかわられます。
三遊亭円遊のステテコ踊り、一席が終わって、やおら袴をはしおりステテコを出して小唄を歌いながら踊るのです。このしぐさが何とも愛嬌があって面白かったのでしょう。
三遊亭万橘、ヘラヘラ踊り。赤い手ぬぐいに赤い扇子、ど派手な衣装で、へらへらと言いながら踊るのです。品の悪さでかえって人気が出ました。
橘家円太郎のラッパ。このラッパは乗合馬車の車掌が危険を知らすために吹いていました。円太郎はこの車掌をまねてラッパを吹いて、おばあさん危ないよと言ったようなセリフを吐いていました。
立川談志、中国の故事、「郭巨の釜堀」というのがあって、孫可愛さのために自分の食べるものも孫に与えるため衰弱していきます。それを見た息子は嫁と相談し、子供はまた作れるし、この子がいては母親が早死にすると言って子を埋めようとします。ところが穴を掘ったところがそこから黄金の茶釜が出てきて、万時めでたし親孝行となります。その物語をまねて踊りにしたのです。
落語好きの夏目漱石が小さんと円遊の違いを述べています。
「円遊の扮した太鼓持ちは、太鼓持ちになった円遊だから面白いので、小さんのやる太鼓持ちは、小さんを離れた太鼓持ちだから面白い。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消えてしまう。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活発発地に躍動するばかりだ」